映画「スマホを落としただけなのに」のラスト、プラネタリウムに取り残されたスマホの意味とは?
これは、続編への伏線なのか?はたまた、冒頭に落としたスマホとの関係性を表しているのか?
「スマホを落としただけなのに」のラストシーンについて考察します。
目次
「スマホを落としただけなのに」あらすじ
冨田誠(田中圭)は急いでいたため渋滞にはまったタクシーから降りる際に、座席にスマホを落とし(置いてき)てしまう。
そのことを知らずに恋人の稲葉麻美(北川景子)は田中圭へ電話を掛けると見知らぬ人が電話に出て「電話を拾ったので、カフェに届けておく」と言われる。
恐る恐るカフェに行くと、無事に田中圭のスマホを回収でき安心する北川景子であったが、その日から彼女の周辺で不審な出来事が起こり始める。
同じころ、警察は山の中から発見された身元不明の女性の遺体から犯人を捜索しているのであった…。
「スマホを落としただけなのに」ラストシーンの意味とは?
「スマホを落としただけなのに」のラストでは、プラネタリウムから出ていく1組の男女が映されていました。
プラネタリウムの上映が終わり、その男性は席を立ちあがり女性と一緒に出ていきました。
しかし、その席の下には彼の忘れられたスマホがあるのでした。
そしてアップに映されるスマホ。
この取り残されたスマホにはどんな意味があるのか?
2つ考えました。
- 本編冒頭でスマホを落としたことの振り返り
- 続編への伏線
ただ、2019年11月現在、「スマホを落としただけなのに」の続編が2020年に公開されることがわかっているので割愛します。
それに、本編冒頭でスマホを落としたことの振り返りというのも、いまいちどうでもいいですよね。
なので、ラストシーンの意味も糞もないやんって思いました。
しかしですね、よく見ているととても恐ろしいことに気づいたのです。
それは、スマホで表示されている時間の割にはバッテリーが満タンだったのです。
これのなにが恐ろしいのか??
それについて解説します。
ラストシーンで落としたスマホが恐ろしい
まず、状況をおさらいします。
プラネタリウムを見終わって、冨田誠と稲葉麻実が一緒に退場します。
すると、カメラは近くにいた高校生らしき男女に注目します。
女の子が「さあ行くぞ」と男の子を引っ張り出すような形で、彼らもプラネタリウムを後にします。
しかし、男の子の座っていた座席の下に、さきほど彼がいじっていたスマホらしきものが残っています。
カメラがスマホに寄ると、スマホに友達リクエストが来て、時刻を18:35と表示され、バッテリーは満タンなロック画面が映されます。
終わり
このような状況で映画はエンディングを迎えるわけです。
ここで、引っかかるポイントは
- なぜバッテリーが満タンなのか
- そのスマホはだれのものか
の2つです。
それぞれについて考察していきます。
なぜスマホのバッテリーが満タンなのか?
まずは、素朴な疑問その1。
18:35分でかつプラネタリウムを見終わった後でなぜ、バッテリーが満タンなのか?
18:35分というのは、1日の4分の3が終わっているくらいの時間です。
彼らが高校生だと仮定したとして、朝起きるのが7時~8時。
その間にスマホを全くいじらないとして、バッテリーが100%
それから、学校へ行き、いろいろやって17時くらいには放課後。
一日中スマホをいじらなかったとしても99%くらい?
そして、プラネタリウムを後にする。
その際にスマホを落とした?のかは不明だが、ロック画面が映されたスマホには18:35分と満タンのバッテリーが表示されている。
このことから考えられるのは
- 彼は相当なバッテリーの倹約家
- プラネタリウムの最中に充電していた
の2つでしょうか。
私の経験上言わせてもらえば、彼らが高校生なのであれば、18:35までにはどんなにバッテリーを節約しても90%以下にはなります。(スマホを使うから)
そのことを踏まえると、映画の中の彼ら(高校生)はすごくバッテリーを使わなかったんだと思います。
でも、それでもバッテリーが満タンなのはおかしいと思うんです。
だから、プラネタリウム中に充電していたんだと思うんですよね。
それならスマホの充電が満タン(100%)なのは納得がいきます。
でもね、それならそれでおかしいなって思うのが、スマホを落としたということ。
100歩譲って、スマホを落とした時に音がしなかったり、落としたことに気付かなかったりするのはわかるよ?
しかし、プラネタリウムと言う場所で、いままで椅子に座っておりスマホ充電していたとするのであれば、スマホに対する意識はすごく持っていると思うんです。
スマホを満タンにするためにプラネタリウムの中で充電するような奴が、スマホを落としたことに気付かないはずがない。
私なら、それくらい注意を払っています。(経験的に)
だから、スマホを落としたら気づくはずなんですよ!!
つまり、このラストシーンでスマホを落としたと思われる、高校生は、演技でしかないということです。
18:35分にスマホのバッテリーが満タンだという不気味なことに続き、スマホを落としたことに気付かずプラネタリウムを後にするこの男の子はただの演技でしかない。
そういう意図があるのかなって思いました。
ラストで落ちているスマホは誰のものか?
まあ、普通に映画の流れで考えると、スマホを落としたのは高校生らしき男の子です。
なぜならば、彼の座席の前は柵になっており、人がいません。
隣には彼女とおもわしき女の子がいますが、彼女の席の下にはスマホは落ちていません。
彼の後ろの席の列には誰もいません。
だから、彼がスマホを落としたと考えるのが妥当と言うか、普通なわけです。
しかし、本当にそうなのか?
彼が来る前に誰かが落としていたりしないか?
実は、プラネタリウム終了後、寝ている彼の横を通る男女のカップルがいました。
だから私は、彼らの仕掛けた罠ではないかと考えます。
でなければ、高校生らしき男の子のスマホとしか言いようがないからです。
でもね、落ちているスマホはさ、綺麗に男の子の座席の下なんだよね。
座席に座ったときの足と足の間位に、綺麗に真下。
だから、横を通ったカップルがもし犯人だとするならば、すさまじい技術を使い、彼の足元空間に置いたんだと思う。
ラストシーンでスマホを落とした意味 まとめ
映画「スマホを落としただけなのに」は冒頭でもスマホを落とし、ラストシーンでも違う人がスマホを落とします。
もはや馬鹿らしい。
でも、自分もいつスマホを落とすかわからないというのは感じている。
そんな映画、「スマホを落としただけなのに」のラストシーンでスマホを落とした意味について以下の2つ考察しました。
- なぜスマホのバッテリーが満タンなのか
- そのスマホは誰のものか
その結論としては、「ただのフィクションだった」です。
というのも、高校生が使うスマホが18:35分でバッテリーが満タンなのは不可解だからです。
不可解と言うか、ほぼ不可能。
仮にスマホを直前まで充電していたとするならば、スマホを置いていく、落としていくなんてことはあり得ないというか、起こりえない確率の方が高いくらい。
だから、ラストシーンでスマホを落としたというのはただのフィクションであり、考察も糞もないということでした。