映画「最強のふたり」という最高の人生を過ごすふたりの物語を見てきました。
ちなみにこの記事を書いているときには計4回は観たでしょう。
約2時間の映画ですが、時間の流れを感じさせないほどあっという間に見終わってしまいます。
ふたりの視点からみる人生観を感じられる人生系映画です。
では、簡単なあらすじから、映画の感想を話していきます。
- 「最強のふたり」のあらすじは?
- 感想を聞きたい
目次
最強のふたりあらすじ
富豪の白人フィリップとスラム街の黒人青年ドリスのふたりの物語。
フィリップはパラグライダーの事故で頸髄を損傷し、首から下が麻痺して動かないので、住み込みで自分を介護してくれる人を探していました。
介護の面接に来る人来る人、お金目当てであったり、人が好きであったり、障碍者を助けたかったりと、フィリップのことを一人の人として見ません。
そんな中で、ドリスは少々乱暴であったりブラックジョークを言ったりと、フィリップを一人の人として扱って言葉を投げかけます。
そこでフィリップはドリスを1ヶ月試用期間として雇ってみることにするのです。
破天荒で常識では考えられないことをするドリスと、退屈な日々を過ごしていたフィリップは一緒に過ごしていくうちに、友情が深まっていきます。
しかし、過ごしていく中で幾度もの困難にぶち当たりますが、あの手この手でふたりの力を合わせて解決していきます。
そんな最強のふたりの人生物語です。
これ実話なんです。
最強のふたり感想
流れとしては、ラスト→出会い→発展→別れ→再開→ラストです。
冒頭がラストシーンから始まり、過去を振り返っているスタイルの映画です。
冒頭の車でぶっ飛ばすシーンから心ひきこまれます。
そして、ラストシーンで再びここに戻ってくるとはこの時は思いもしませんでした。
では、映画の感想を述べていきます。
ドリスとフィリップのふたりを繋いだ無礼講
ある日、美術館で絵の鑑賞と購入を考えていた時に、ドリスはフィリップにチョコをよこせと言われましたが、
「嫌だ。これは健常者用だ。」
というブラックジョークを言ったところは笑えました。
しかし、このジョークを言ったときは1ヶ月間の試用期間であり、ふたりの出会いからあまり時間が経っていない状況でした。
出会ってから短い期間でなおかつ、年齢も違えば人種も違うふたりの距離感がある中での、ジョークです。
こんなこと、今の私ではできませんし、やろうという気が起きません。
よくも知らない他人に対してジョークを言って相手の機嫌を悪くしてしまったらどうしようとか考えてしまいますから。
ビビっちゃいますもん。
悪く言うと、内向的ですよ。
でも、ドリスは違いました。
フィリップの体が不自由である状況を知っていてなおかつ、容赦なくブラックジョークを言うんです。
多分、「あえて」言っているのでしょうね。
こういった具合にドリスは少し自分勝手で、言葉や行動が乱暴ですが、この無礼さがフィリップには刺激的だったんだろうと思います。
そんなドリスの影響か、フィリップもドリスにブラックジョークを割と言っています。
ブラックジョークという無礼講をきっかけに、仲が深まっているようにも感じました。
ドリスの無礼講から広がる笑顔
ドリスと出会う前のフィリップ、世話人、養子の娘は少し堅苦しいような感じがありました。
それが、ドリスという破天荒で少々乱暴で常識外れな存在が来たことで、だんだんと笑顔が増えていくような感じがします。
フィリップの世話人は基本的には敬語であったり、丁寧な言葉で話しますが、ドリスはフィリップであろうと、世話人であろうと容赦なくタメ語であったり、乱暴な言葉を使います。
ただ、相手にマウントをとるような、自分を棚に上げて話すのではなく、どんな人に対してもフラットな横の関係を作るような、ラフな話し方なのが好印象になったのだと思います。
ドリスのような誰に対しても優しく、明るい人が近くにいたら、毎日が笑顔でいられそうです。
何歳でも人生は終わりじゃなく始まり
フィリップは首から下が麻痺して動かせない体になってから常に車椅子で生活していましたが、ドリスを雇ったことをきっかけに、いままで乗っていた車椅子が乗れるバンに乗るのではなく、マセラティのスポーツカーに乗るようになったり、文通でしか会話していなかった女性と電話をしたり実際に会いに行ったりします。
体が不自由になって、生きていくのも大変で、生活には多くの制限があり、事実上の人生の終わりだと誰もが思ったはずです。
でも、人生は死ぬまでが人生なんだなあと感じました。
人生が終わるときは死ぬ時で、それまでは常に始まり何だと。
どんなに重い障害を持ったとしても、気は持ちようと言いますか、自分がその気ならなんだってできる。
それを感じました。
介護が必要な人と見られる辛さを感じた
ドリスが家庭の事情でフィリップの担当を辞めることになり、フィリップには新しい介護担当者が何人もつきますが、全員が全員フィリップのことを1人の男としてみるのではなく、介護が必要な人と見ます。
実際、私がこの仕事をやったとして、フィリップのことを1人の人と見れるかと言われれば、今の私は無理だと思います。
だから、作中でフィリップのことを介護が必要な人と見てしまうのは、当然のことだと思います。
ただ、そのように見られ、対応されるフィリップ目線から見ると、いい気分ではありません。
介護をされていても、常に介護が必要な人扱いで、みんなやけに慎重です。
普通の人で例えるなら、不愛想で、やけに冷たく対応してくる人でしょうか?
まあ、そんな人とは友達にもなれませんし、話していてつまらないですよね。
フィリップもドリス以外の介護人にそのような感じを覚え、もしくはそれ以上の嫌悪感を感じたのではないかな。
介護が必要だからと言って、フィリップは一人の人であり、普通なんだと。
身体が動かないからと言って、差別的な目を向けてしまう私たち健常者はドリスのように、誰であっても一人の人として見る力や考え方が必要なんでしょうかね。
考え方や見方はすぐには変えることは難しいです。
この映画を機に少しずつ変えていければなと思いました。
最強のふたりを見た感想まとめ
人種とか考え方の違い、容姿とかはどうでもいいこと。
大切なのは、相手の立場になって考え、接していくこと。
そういったメッセージを感じました。
最強のふたりは何度見ても感動します。
笑いあり、涙ありの人生系映画がすきな方は是非見てほしい作品ですし、観たことのない人にはおすすめの作品です。
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